医者の
落書き
2
三輪 正彦
眉間の傷
校医をしている北陵高校で、合宿前の健康診断も終わり、養護のY先生と雑談しているところへ、A君が現れた。
腫れた左眼の上に、白いガーゼが、べったりと貼られている。校舎の中で、よそ見をしながら歩いていてドアにぶつかり、左眼の上をパックリと縦に割って、近くの外科で五針の縫合処置を受けてきたのだという。
傷が濡れないようにすること、そして、数日間は洗髪や洗面はしないように注意をすると、
「えーつ、これ(ガーゼ)を付けたまま寝るんですかー」
「こんなにベッタリ整髪料をつけているのに、頭、洗えないんですかー」
「油症だから、よく、顔を洗うようにしているのに、それもだめですかー」
「眉毛も少し剃られちゃって、カツコ悪いよー」
A君は、いろいろと不満気に述べたてる。
「傷を濡らすのが一番悪いのよ。それから、明日も包帯を換えるから、必ず、外科の先生のところに行くのよ」
Y先生にも駄目をおされて、A君はますます不満気な顔になった。
「それはそーとして、A君、M先生のところに行って、手続を取ってね」
「学内の事故に対する保険の手続」を取るようにとのY先生の言葉に、A君の顔が少し明るくなった。
「それって、もしかして…、(治療費が)全額返るんですか?」
Y先生は、黙ってうなずいた。
「エーツ、ヤッタネ、ヤッタネ」
A君は両手の拳で、何回もガッツポーズを決めた。
「包帯が取れたら、カツコいい顔を見せにくるからね」
A君は、今までの不満は皆忘れたかのように、ニコニコ顔で保健室を出て行った。
治療費が全額戻ったからといって、痛みが和らぐことも、顔の傷が早く治る訳でもなし、これから一週間ほどは不便な生活が続くと思うのだが…。だけど治療費が戻れば、こっそりお小遣いになるかもしれないし…、やはり、その方がイイか。
麻酔
Fさんの額に、大きな擦り傷がある。
「Fさん、どうしたの、それ」
「エー、チョット」
「大分ひどい傷じゃない」
「実は…、ちょっと『麻酔』してて」
「エッ、あー、『麻酔』ね」
どうも酔っておこした傷らしいが、Fさんの口からは、とうとう、真相は聞かれなかった。
数日後、同じ商店街のIさんがクリニックに現れた。
「先生、見たFさんの傷」
「あー、見たよ。だけど、本人は理由を言いたがらないんだよ」
「そりゃそうですよ。『麻酔』が充分効いていたんで、本人もよく覚えていないんじゃないんですか」
「麻酔」から覚めた「術後」は、傷が相当に痛んで、また、「麻酔薬」が飲みたくなったんじゃないだろうか。
ヨット
ユキコさんは、なかなか活発な女子高生、久しぶりにクリニックに現れた。
「先生、『酔い止め』の薬がほしいんです」
「どこか、旅行でもするの?」
「いえ、ヨットの訓練を受けるんですけど、『船酔い』すると困るので」
それから二週間ほどして、ユキコさんの祖母、ミツエさんが受診された。
「先生、ユキコのことでは、ありがとうございました。まったく船酔いもしないで、元気に訓練が受けられたと喜んでいました」
「女の子なのに、真黒に日焼けしちゃって。来年は受験だというのに、ヨットに夢中で」
「酔い止め」の薬を飲みながらも、ひたむきにヨットに集中するユキコさんの青春に乾杯。
いなりずし
コウタロー君が、「風邪様症状」でやって来た。咳、痰、咽頭痛、発熱などがみられ、「気管支炎」として薬を処方することにした。
付添いのお母さんが口を挟んだ。
「コウタロー、今朝吐いたんじゃなかったの?」
「ウン、二回吐いた」
私は、消化器症状を伴う、今流行の、「ビールス性気管支炎」かと考えた。
「コウタローの吐き気は、食べすぎなのよ」
と、お母さん。
「そんなに食べないよ」
コウタロー君は、ムキになって口を尖らせた。
「じゃ、昨日の晩に何を食べたか、言ってごらんなさいよ」
「ウーントネ…、エビフライを五匹と肉団子四つ、それから…、弟のマーくんのを取り上げてマグドナルド(ハンバーガー)を二個、…それと、おいなりさん六個」
風邪で体調が悪い時に、それだけ食べれば気持ちが悪くなるのは当然、しかし、これだけ食欲があればすぐに風邪も治るだろう。
添削
平成七年八月十日、今まで書き貯めていた雑文をまとめて、「医者の落書き」という題で本を出した。院内に掲示を出したところ意外に反響があり、数十冊も受付でお買い上げ戴くところとなった。ある日、Iさんが、窓口に一枚のメモを残していった。
145p 北稜 → 北陵
147p 荒筋 → 粗筋
何人もの眼で、何回も校正をしたはずなのに、昔、学校の先生をしていたIさんの眼を、「誤字」は逃れられなかったらしい。
この一件は、高校時代の国語担当教官、N先生を思い出させた。作文を提出するたびに、赤インクで、「自分の心を忠実に表しなさい」などの評とともに、誤字が直されていた。
「誤字」は、「記憶違い」、「思い込み」など、いろいろと原因はあろうが、「雑文を書くことを趣味にしています」などと公言した以上、今後とも、気持ちを引き締めねばなるまい。
合格
「先生、あの本は、先生が書かれたものですか?」
待合室に置いてあった私の著書、「医者の落書き」を拾い読みしたというYさんが聞いた。
「ええ、よかったら、受付にありますよ」
「それじゃ、一冊戴いていきましょう」
受付に応対に出たヒロコさんに、Yさんから質問があった。
「キミ、『タマパン』を知っているかね?」
「ええ、先生の本の中の話でしょう」
「ヨシ、『合格』!」
ウチの従業員は、全員、私の本の内容を暗記してないといけないらしい。
若返る
ドサッ、どこか高い所から転げ落ちたような気がして眼を開いた。すぐ横にべッドがある。私は、ここから落ちたらしい。しかし、私はいつもベッドは使っていない。ここはどこだろう。
見覚えのない部屋に、深夜、眼を覚した私の頭は、ひどく混乱していた。こわごわ隣の部屋を覗くと、見知らぬ若い女性が寝息を立てている。次の部屋には、やはり見知らぬ若い男性が横になっていた。
「母さん、どうしたんだよ、こんな時間に。まだ夜中だよ」
私に気がついて、その若い男が言った。私を、「母さん」と呼ぶ。誰なの、この若い男は。私の子供はまだ小さいはずなのに。
「アナタ、誰なの?」
「母さん、僕だよ。良一だよ!」
私は、何が何だか、まったく判らなかった。ここはどこなの。この男は誰なの。
「母さん、何だか変だよ。頭でもおかしくなったんじゃないの。病院へ行こうよ」
事態が理解できないままに自動車に押し込まれた。
途中から見覚えのある道に入った。ああ、市立病院に行くんだ。良一が、また、喘息で入院しているんだ。私は、少し状況が判りかけたような気がした。
病院に着くと、私は、すぐに小児病棟に向かおうと思った。
「母さん、どこに行くんだよ。診察室はこっちだよ」
私の頭は再び混乱しはじめ、判らぬままに病室に閉じ込められてしまった。
入院して数日が過ぎて、私は、少しづつ現実が見え始めた。若い男が長男の良一であること、今が平成七年であること、私は、「あの夜」、過去十八年間の記憶を失って、娘が四歳、息子が三歳、そして、私が三十三歳の時点に戻っていたということを。
これは、Iさんが経験した、一時的に起こった「記憶喪失」の話であるが、突然、しかも夜間に、眼を覚したら十八歳も若返っていたら、さぞ、驚いたことであろう。
肉体が、突然、十八歳若返るというなら、それは大いに歓迎だけれども。
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酔い止めの薬
今年も北陵高校の修学旅行が近づいて、旅行前検診のために、木曜日の午後、学校の保健室に出向いた。いつもながら、「車酔い」の不安を持つ生徒が多く、今年は、十六名もいたため、例年のように個人面談ではなく、会議室での集団面接となった。
「車酔い」にもいろいろあって、バスはいいが電車は駄目などと乗り物の種類によって異なる者、あるいは、車の動揺よりもその臭いで気分が悪くなる者など多彩で、その指導にはいつも難しさを感じるが、昨年、一昨年と試用して効果のあった薬を服用してもらうことで面接を終わった。
保健室で養護のY先生と雑談をしている時に、昔の修学旅行の話になった。その頃は、効果のある「酔い止め」の薬などがなく、旅行に付き添う養護の先生は、「ウィスキー」を一瓶、カバンに忍ばせて参加したという。
車酔いを心配する生徒には、車に乗る前に、あらかじめその「水薬」を一杯「服薬」させる。「水薬」を飲んだ生徒は皆、
「先生、あの『薬』はよく効きますねえ」
と、大変に好評であったが、唯一の欠点は、見学の時間になっても、車中でぐっすりと眠ってしまうことであった。
旅行も終わりに近づくと、その「酔い止めの薬」の「処方」を希望する、疲れのたまった先生もあったそうである。
そんな「患者さん」には、私の処方よりも、昔の薬のほうが、ずっと効能があったことであろう。
)
若い
八十歳Yさんは、左膝の痛みで近くの整形外科を受診した。レントゲン撮影も終わり写真の現像が出来上がるまでのしばらく、待合室の椅子に座って待っていた。
壁には、「骨粗鬆症(注:こつそしょうしょう)」についてのポスターが掲示してあり、眼は自然そこに向かってしまう。
この症状は自分にそっくりだ。こんな検査を受けなければいけないんだ。少し不安になったところを診察室に呼び込まれた。
院長先生は、開口一番、
「今、看護婦さんとも話していたんだがね、貴女の『骨』は、まだ六十歳台、二十年は若いですよ」
私のクリニックでYさんは、苦笑いしながら言う。
「いくら『骨が若い、若い』と褒められてもねえ‥、膝の痛みは変わらないんですよ」
禁煙出来ぬ理由
世の奥様方にとって、夫の煙草は眼の敵らしい。
「先生、何とか言って、あの人の煙草を止めさせて下さい」
と、私は、しばしば悪役を仰せつけられる。
高血圧症で通院中のAさんの場合、奥さんのあまりの攻撃に、ついに禁煙することを宣言するに至った。
三日たち、一週間が過ぎ、Aさんのイライラは徐々に強くなってきた。禁煙して二週間、今まで落ち着いていた血圧が急速に高くなり頭痛や肩凝りも再燃して、「爆発寸前」で一時禁煙を中止、それとともに、血圧はまた落ち着き症状も消えてしまった。
「脳出血」を取るか、「肺癌」を取るか、Aさんは、今はハムレットの心境で減煙している。
M氏の場合は、妻のS子さんに、
「そんなに煙草を吸うと、私が先に肺癌になってしまう。私が先に死んだら、困るのは貴方なのよ」
と、禁煙を迫られている。M氏は、心の中で呟く。
「いっそのこと、もっと吸って、妻を先に…」
悪魔に魂を売って喫煙の毎日。禁煙は、本当に難しい。
蒸気機関車
診察後の雑談中に、チエコさんが突然聞いた。
「先生は、もう、汽車を作らないんですか?」
「いえ、今でも作っていますよ」
「それでは、今度、C56を作って下さい」
「C56は持っているんですが、どうしてですか?」
待合室に続く廊下の、壁に飾ってある私の宝物、模型の蒸気機関車を見ての会話と思うが、八十歳に近い老婦人の口から、よもや機関車の話が出るとはと、思わず聞き返した。
「C56には、想い出があるんですよ。あれ、かわいい汽車で」
C56は、「ポニー」などとも呼ばれ、地方支線によく見られた小型の機関車である。
「私は小海線で見たことがありますよ。あれに曳かれた列車で、野辺山まで行ったんです」
「そう、そう、それ、その小海線! 私の若い頃、昭和十年頃ですけれどね、毎年、夏になると、小海線に乗って松原湖の別荘に行ったんですよ。あれ、私の青春なんです」
私の高校時代の山の想い出と、チエコさんの若い頃の想い出、三十年近くの時間の隔たりが、「C56」そして「小海線」という二つのキーワードで繋がった。
C56と客車一輌それに貨車数輌を繋いだ混合列車、ありし日の小海線の情景を、ガラス棚の中に早速再現してみよう。
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髭
いつも、さっぱりとした身なりで来院される紳士、Tさんが、正月の休み明けに髭面で現れた。
「どうしたんです、その髭は?」
「いやぁ、いつも、休みの日には髭を剃らないんですよ」
いかにも「休日」という気分になれるのだという。
「しかし、先生、髭も年齢とともに柔らかくなるんですねぇ」
五、六ミリに伸びた不精髭を撫ぜながら、Tさんが言う。
「若い時は、こんな長さだと、触ると痛かったんですけどね。最近は柔らかくなって」
そういえば、私の頭髪も、伸ばし始めた高校時代にはツンツンゴワゴワとしていて、ポマードやチックのお世話になったが、最近ではまとめやすくなってきた。
髭も頭髪も、歳をとると柔らかくなるようだが、私の人格の方は、残念ながら、丸くも柔らかくもなれないでいる。
歳
二十歳のミナコさんと八十歳のYさんが、待合室で手を取り合ってハシャイデいる。
「先生、この娘、私の教え子なんですよ。こんなに大きく奇麗になって」
昔は学校の先生を、退職してからは塾の講師をしていたというYさん、私のクリニックで、偶然、教え子に逢ったというのである。
診察室に入ってきたミナコさんに、そっと聞いてみた。
「君は、何時、Y先生に教わったの?」
「私が、小学校の時です」
「それでは『十年』前のことだね」
(十年前だと十歳だから四年生、先生に習ったのは六年生の時だから十二歳、それに十足すと二十二歳)こんな暗算をしていたのであろうか、しばらく考えていたミナコさんは、きっぱりとした口調で言った。
「いえ、『八年』前です」
二十歳のミナコさん、二十二歳にみられても充分若いと思うのだが、しかし、その女性にとっては、「その二歳の差」が重要なのであろう。
体重計
高血圧症で通院中のMさんは、最近、減量にはげんでいた。一時、六十六キロあった体重が六十キロまで減って一段落。
ところが、ある日、体重計に乗ると六十三キロになっていた。
「オトウサン、この体重計壊れている」
Mさんが叫ぶ。すると、御主人の声が返ってきた。
「いや、壊れておらん。俺は五十五キロのままだ」
Mさんは、今でも自分が太った事を認めない。体重計が壊れているのだと固く信じている。
いや、Mさんばかりではない。自分の体重の重さを、体重計の間違いにしたがる中年女性が多すぎる。
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肩凝り
「肩凝り」という症状は日本人特有のものらしく、西欧人にはあまり見られず、従ってこの症状に対する正式な医学英語はないと言われている。
その症状は、「肩が張る」あるいは「肩、首、後頭部などがしこる」ときに「頭痛」や「肩や腕のシビレ感」などと表現される。
M氏も、この「肩凝り」で来院された患者さんの一人である。
「どんな具合ですか?」
「今、ゴルフをやったら、『OB』が出そうな感じです」
なかなか難しい表現だが、ゴルフをやったことがある人にはよく分かるであろう、「肩に力が入った」感じがよく表されていると思う。
カラオケ
F子さんが、「風邪をひいた」といって来院された。数日後に迫った地域の「カラオケ大会」の為に練習に出かけ、十曲ほど歌ったところで声が出なくなった。いつもなら、この位歌い込んだほうが調子がよくなって声も出るようになるのに、これは「風邪に違いない」というのである。
私も時にカラオケに誘われるけれど、F子さんと違って、三曲も歌えば、次の日は声も嗄れて「風邪を引いている」。
Nゲージ
久しぶりに「風邪」で来院されたカワダさんから、診察が終わると、すぐ、こんな質問があった。
「先生、話は違うんですがね。このあたりで、鉄道模型を置いている店はどこにありますか?」
「ゲージ(縮尺)は?」
「子供が大きくなってきましてね、鉄道に興味を持つようになったんで、また、Nゲージ(実物の150分の1モデル)を始めようかと思いましてね。私も、子供の頃、Nゲージを少しやってたんで」
「藤沢に大きな店があるけど。それより、茅ヶ崎の北口のS模型に行ってみたら」
「エッ、あのS模型、まだあるんですか。昔、よく通ったんです」
カワダさんが懐かしそうな目付きになった。また一人、いや、もしかすると二人同時に私の仲間、鉄道ファンが誕生するらしい。
花粉症
今年もまた、花粉症の季節になった。サングラスで眼を隠し、大きなマスクで鼻を覆った患者さんのために、私は、内服薬、点眼薬、点鼻薬の三点セットを用意し始める。
日頃は健康で風邪一つひかない、この季節だけの患者さんが、次々と、クリニックに現れる。
こんな「お馴染さん」とは、
「今年も、また、始まりました」
「何時から?」
「昨日から突然…」
程度の会話しかいらない。
時には、その会話もなく、診察室のドアを開ける患者さんに向かって、私は自分の鼻を指さしながら、だまって視線を送る。
患者さんもまた無言のまま、にやっと笑ってうなずく。これで診察はおしまい。カルテの昨年の記述をもとに薬を処方し、これから二カ月間の苦労を、お互いに慰めあう。
私も三十年以上の病歴を持つ「花粉症患者」、この季節は、抗ヒスタミン剤の眠気と戦いながら、毎日をすごしている。
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ミミズ
いつも元気なミノベさんが、めずらしく気管支炎になった。抗生物質や去痰剤などを五日分処方してお渡ししたが、その夜から三十九度以上の高熱が続き大変であったというのが、二週間ほどして再来された時の後日談であった。
「それで、どうされました?」
「先生に戴いた解熱剤が全然効かないんでね、『ミミズ』を煎じて飲んだんですよ」
「『ミミズ』を!」
「ええ、あれは効きますね。その夕方からは、ピタッと熱が出なくなりました」
ミミズは生きたまま、あるいは、乾した物(薬屋では地竜と呼ばれている)を煎じて飲むと、多量の発汗とともに解熱するというのが昔より民間療法として有名である。
しかし、ミノベさんは勇気がある、あのグロテスクなミミズを飲むなんて聞いたら、私ならよけいに熱が上がってしまいそうだ。
アレルギー
Sさんは永年の花粉症、アレルギー性鼻炎の患者さん、毎年、三月になると眼も鼻もグチャグチャになって、クリニックにやってくる。
最近、妙なことに気がついた。毎日、東京まで通勤しているが、東海道線で東京に向かうと症状が消失し、夕方、藤沢駅あたりまで帰ってくると、再び、症状が悪化するのだという。
「もしかしたら、杉や檜の花粉に対するアレルギーではなくて、『帰宅アレルギー』だったりして」などという悪い冗談、帰宅の遅くなる御主人に替わって薬を貰いに来ている奥さんには、とても言えない。
落差
某製薬の宣伝営業担当のMさんは、眼元のはっきりしたなかなかの美人、小柄な細身の身体にピックリと合ったスーツを着て、カバンを脇に抱えて、何処から見ても才色兼備の「完璧なキャリアウーマン」というスタイルで、我がクリニックに現れた。
しかし、その右足のスネには、なぜか、バンドエイドが貼られていて、それが第一印象に強く残った。
その後、一、ニカ月に一回ほどの頻度で姿を見せるようになったが、いつも、どちらかのスネに、バンドエイドが貼ってあったり、また、時には、紫色の打ち身がストッキングを透かして見えていたりする。聞くと、よく、あちこちに蹴つまづいたり、転んだりするのだという。
待合室の椅子の上に、仕事上大切な資料を入れた紙袋を忘れて行き、後から、大慌ての問い合わせの電話が入ったこともあった。
別の場所に置き忘れたカバンは、とうとう出てこなかったという。
私のクリニックの駐車場に車を入れるのに、狭くはないと思うのだが、何度も「切り返し」や「前後進」を繰り返し、隣の車にぶつけやしないかと、いつもヒヤヒヤだし、また、ある時は、スノーボードでこけたと言って、顎に大きな擦り傷をつくって折角の美人が形なしであったり…。
見掛けとは大違い、オッチョコチョイでワスレンボのMさん、今日も、うちのクリニックの所在地だけは間違えずにやって来た。
検査用
N子さんはコレステロールが高くて通院中の患者さん、何時も夕刻、クリニックを閉める時間すれすれに来院される。
しばらく検査もしていないので、
「一ケ月後に採血をするので、この次は少し早く来て下さい」
とお話すると、
「あら、大変。それじゃいろいろ用意しないと」
「何を用意するの?」
「これから一ケ月、食事を控えて、体重を落とさないと。いい結果がでないから」
「検査のためにダイエットするの?」
「ええ」
私の先輩にも、人間ドックを受診する時はいつも、「肝機能が悪く出るとこまるから」と、一週間前から禁酒をする内科のドクターがいた。
入学試験でもあるまいし、検査結果が好いようにとその為に用意するのは、どうも、本末転倒のような気もするが、しかし、その努力の結果は健康の増進に結びついているのだから、まあ、それはそれで良いのだろう。
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採血
注射器の準備を始めると、Tさんの表情が硬くなった。腕にゴムを巻いて、いざ採血をしようとすると、体中に力を入れて小刻みにアルブルと震え、顔は力一杯そむけて注射器を見るまいと、しっかり眼をつぶっている。15シーシーほどの採血が終わった時には、顔や腕に冷や汗が浮いていた。
「私は、どうも、これ(注射)だけは苦手でして」
身長181センチ、体重81キロという堂々たる巨漢のTさんの顔に、ようやく、照れ笑いが戻った。
真黒に日焼けして逞しいMさんも、注射が大嫌い。日頃陽気なMさんも、採血になると無口になり、やはり、顔をそむけ、終わった時にはホーツと大きな溜息が聞かれた。以前、二回ほど献血をしたことがあったが、その度に「脳貧血」を起こして倒れたと言う。
痛いことは誰でも嫌いだけれど、経験的には、注射嫌いは男性の方により多いように思われる。
注射と聞くと眼を輝かして、「僕、痛いことは大好き」などと喜ばれたりしたら、その方がづっと気持ちが悪いけれど。
ヒマワリ
いつも春先、杉花粉の時期にアレルギー鼻炎になるOさんが、梅雨の最中に、時ならぬ鼻炎症状で来院された。
地元、赤羽の畑で、両手で抱えるほどたくさんのヒマワリを買って帰ったら、どうもその花粉が原因のようで、腕にはジンマシンが出るし、鼻も眼もグチャグチャになるほどの鼻炎が急に始まったのだと言う。
Oさんは嘆く。
「ヒマワリが安かったから買って来たのに、鼻炎で薬代がかかったら、かえって損してしまうわー」
スギ、マツ、ヒノキ、あるいはイネ科の雑草など、花粉症を起こす植物は多いが、「ヒマワリ」については、調べた限りでは、その記述が無い。
これは新しい「アレルギー疾患」かも知れない。例えば、「ヒマワリ鼻炎」とか…。
熱帯魚
ツマダさんが、蒼い顔をしてクリニックに飛び込んできた。手には、赤紫色の液体が入ったプラボトルを持っている。
「熱帯魚用の薬を、間違えて飲んでしまったんです」
水槽に入れようと、小さなコップに注ぎ分けておいたその液体を、梅酒と間違えて飲んでしまったというのである。
ボトルのラベルを見ると、その液体の成分に、熱帯魚の水槽の汚れを消化分解して清掃するためであろうか、得体の知れない『細菌』が含まれていた。
「細菌!」、私も一瞬、胃洗浄が必要であろうか、それとも、抗生物質の投与が良いのであろうかと、いろいろな考えが頭をよぎったが、ともかくも、そのラベルの隅に記してあった製造元に電話を入れてみた。
「もしかすると、お腹がゴロゴロするか、それとも、少し下痢をする程度です」
「抗生物質の投与などの必要はありません」
そばで、その電話のやりとりを聞いていたツマダさんの顔に、安堵の色が戻った。
最近、ブラボトルに入った各種の飲料水が市場に出回り、そのどれもが美しい色合いで、いかにも美味しそうに見える。この、『細菌入りの液体』も、一見、グレープジュースのようにも見え、これでは、子供が間違えて飲んでしまう心配が充分にある。
もっと毒々しい色とか、嫌な臭いをつけたほうが良いのではないだろうか。ただし、その液体を水槽に入れられた熱帯魚が、「ゲッ」と言うかもしれないけれど。(戻る)
ルールブック
アトランタ・オリンピックが始まって、連日、いろいろなスポーツがテレビ放送され、女子のソフトボールやサッカーといった、新しい種目が話題になっている。
「先生、『国際ルール』といったら、世界中どこでも同じルールということだねー」
ソフトボールの公式審判員をやっていたネモトさんから、来院早々質問があった。
「それはそうでしょうね。『国際』という以上、どこの国でも、そのルールで試合をするということでしょう」
「変だなあ」
ネモトさんは首を傾げる。
「テレビでね、女子のソフトボールを見てたんですけどね、主審の『ストライク』の判定の手の挙げかたが、私が教えられたのと違うし、普通は二塁の塁審がやる、ピッチャーズプレートを掃くことを、三塁の塁審がやってるんですよねえ」
さすがは公式審判員、ネモトさんの眼は厳しい。その昔、「俺がルールブックだ」と、監督の抗議をはねつけた野球の名審判が居たことを、ふと思い出した。
タベキャン
予約制で仕事をしていると、種々の都合で予約取り消し(キャンセル)があることは、やむをえない。
当クリニックにおいても、胃の内視鏡検査などが、時には、「身内の不幸」とか、「風邪をひいた」などの理由でキャンセルされることがある。当日の朝、土壇場になってからのキャンセル(いわゆる『ドタキャン』)であることが多い。
予約の患者さんが、予定の時間をとうに過ぎても来院されない。一時間ほども待って自宅に電話を入れてみた。
「えーつ、今日だったんですか。忘れて、朝ごはん食べてしまったんですよー」
胃の検査は、とにかく、空腹でないと出来ない。こんな場合は、当クリニックでは、「食べてしまってキャンセル」、『夕べキャン』と呼ぶ。
奈良漬
Fさんが、全身、真っ赤になって来院された。痛いように痒くてたまらないと言う。
「どうしました?」
「一昨日、ほんのちょっとお酒を飲んだら、昨日から身体中にクサが出てしまって」
「クサ」とは、「発疹」の俗語である。
Fさんの、アルコールに対する過敏反応は相当なもので、普通のお酒はもちろん、甘酒を飲んでも全身がジンマシンで腫れ上がってしまうと言う。
「そういえば、去年も、先生に診てもらったわ」
カルテを調べると、一年半ほど前、「甘酒」を飲んで発疹して来院された記録があった。
「でもね、先生、お酒の匂いって、たまらなくいいんですよね」
空腹で食べるとジンマシンが出る奈良漬も、御飯と一緒なら大丈夫と、「好きな」お酒の香りを楽しんでいるFさん、もしもアルコール過敏症がなかったら、大変な酒豪になっていただろう。
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山芋
香川駅からの帰り道で、三人の男が畑仕事をしているのが目に止まった。人の背よりも高い柵に絡まる、枯れた蔓草の下を深く掘っている男性は、私のクリニックに通うSさんであった。
「おや、Sさん、そんな深い穴を掘って何をしてるの?」
「やっ、センセイ、山芋掘ってんだよ」
「これが山芋の蔓なの。そうすると、『ムカゴ』もできるの」
「センセイ、『ムカゴ』なんてよく知ってんね」
「あれは、旨いものだよ」
「センセイ、山芋好きかね」
「ああ、好きだよ」
「じゃ、これ持ってくといいよ」
Sさんが、畑に転がしてある山芋の一本を持ち上げて見せた。一メートルほどもある大物であった。
「ウチは、女房と二人だから、とても食べきれないよ」
「それじゃ、こっちを持ってっか」
すこし短いほうの山芋に、「これも一緒に持ってけば」と抜きたての大根も一緒に入れてくれた新聞紙の包みを、脇の下に抱えて家路についた。
歩くたびに、前の方では、新聞紙からはみ出した大根の葉っぱがユサユサと揺れ、後ろには、豚のしっぽのようなヒゲ根がプリプリ震えている。
東京での勤務医時代には、とても思いもつかぬ自分の姿に、畦道を歩く間、苦笑が抑え切れなかった。
だんだん、そして、確実に、『田舎医者』になっている。
同病
Yさん夫妻が、秋の検診のために来院された。まず、御主人を診察の時、右胸に古傷があるのに気がついた。
「これは、どうしました?」
「若い頃、結核をやったんです。肋骨カリエスと言われました」
カリエスとは、結核菌が骨に入ってこれを破壊する、比較的珍しい病態である。
次に奥さんの診察になった。すると、右乳の下に、御主人と同じような傷痕がある。
「これは、何の傷?」
「肋骨カリエスの跡です」
「えっ、じゃ、御主人と同じ病気をしたの」
「えぇ、若い時に、こんな(傷のある)身体になってしまったので、一生結婚しないと決心してたんです」
「それで?」
「でも、主人に、『おれも同じ病気だから、一緒になろう』と言われちゃって、だから…(結婚したんです)」
奥さんの眼が、恥ずかしそうにニコニコッと笑って、何だか、結局、ノロケられたようだ。
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仏滅
Iさんから、内視鏡検査の予定日を一日ずらしてほしいと電話が入った。先に検査を受けた奥さんが、夫のIさんの予約をして帰られたのだが、その日が「仏滅」なので、次の日、「大安」に変えてほしいと言うのである。
秋の検診が始まり検査の予約が詰まりかけた時であったが、運よく、次の日に一人分だけ空いていたので、Iさんの御要望に応じることはできた。
「仏滅」の日にやる内視鏡検査は「苦しい」とか、「悪い病気が見つかる」などという論文は見たことがないんだけれど…。
ブラジャー
Mさんの奥さんが、「呼吸が苦しい」と来院された。深呼吸が出来ないというのである。
咳や痰もないし発熱も見られず、呼吸器の病気は考え難い。また、階段を上った後など心臓に負担のかかった時に起こるでもなく、動悸や不整脈もないようで、症状からも心電図検査からも、狭心症は否定的であった。
そこで、もう一度、よく話を聞いてみると、
「最近一サイズ、大きなブラジャーに替えたんです」
「こんな時、ブラジャーを弛めると落ち着くんです」
どうも、胸が大きくなったため、ブラジャーで呼吸が制限されたための症状のようで、胸の小さな御婦人が聞いたら、「それは嫌味よ!」と言われそうな「病気」であった。
ホームドクター
「あさってから家族がみんな海外旅行に出かけるので、私一人で留守番になるんです。何かあったら、先生、電話しますから、宜しくお願いしますよ」
そんな言葉を残して診察室を出かけたYさんが、最後に言った一言が妙に気がかりになった。
「今朝から、何回も『ブレーカー』が落ちるんですよ」
…『ブレーカー』が何回も切れる…ン?…
「Yさん、もしかしたら、どこか漏電してるかもしれません。すぐに、電気屋さんに見てもらって下さい」
「そうですか。留守の間に火事にでもなったら大変、すぐ、見てもらいましょう」
家族の海外旅行も終わって、再来されたYさんから聞いた後日談では、やはり家の何処だかに漏電個所があって、さっそく修理をしてもらったとのこと、
「先生のお蔭で、安心して留守ができました。ありがとうございました」
患者さんの「家」の故障個所を診断するのを、「ホーム」ドクターと言う(のかな?)。
胸痛
四十六歳のマツカワスミコさんは、某生命保険会社のセールスウーマン、ある日、胸が痛むと言って来院された。
「どんな風に痛みます?」
「左のお乳の上が、押しても、深呼吸しても痛むんです」
「咳や痰は?」
「ありません」
「熱は?」
「熱もありません」
あまり呼吸器や心臓の病気とは思えない。
「何時頃からですか?」
「二、三目前からです」
「何か原因になるようなことは?」
マツカワさんは、しばらく言い淀んでいたが、
「実は、オ兄チャン(息子さん)と取っ組み合いのケンカをして、蹴られたんです」
マツカワさんのお歳からすれば、息子さんは十五歳から二十歳ぐらいと推定される。元気ざかりの男の子に蹴られたのでは、骨折しているかもしれない。
すぐに撮った胸部レントゲン写真では、肋骨骨折は見られず、湿布を処方して、一件落着。
でも、これって、内科医の仕事?
皮膚テスト
某テレビ局の番組に、「酒と上手に付き合う」という内容の放映があった。その中の一つに、生まれつきアルコール代謝に必要な酵素の欠損がある人は、どんなに飲酒を練習してみても、酒に強くなれない、むしろ、二日酔いで辛い思いをするだけという話があった。そして、その酵素のあるなしを見分ける、簡単な皮膚テストが紹介された。
バンドエイドの綿にアルコールを浸みこませて皮膚の白いところに貼り、五分おいてから剥がす。酵素のある、つまり、酒の飲める人では、アルコールの接した部位に変化はないが、酒に弱い人では、その部位が発赤するというのである。
次の日、我がクリニックで、さっそく実験をすることになった。私と女房、事務のクミコさん、それにアシスタントのMさん、計四人の上腕の内側にバンドエイドが貼られ待つこと五分、クミコさんとMさんは陽性、つまり、お酒に弱い、私は陰性、つまり、お酒が飲める、そして女房は反応がやや遅く出て疑陽性、つまり、すこし飲めるという結果になり、それは、「まさにその通り」であった。
その日休んでいたアシスタントのヒロコさんにも、次の日に実験が行われ、結果は「陰性」(飲める)で、皆が納得するところであった。
このテストは、ゼヒ、大学の新入生や新人社員に行ってほしい。「陽性」と出た者には、胸に「飲めないシール」でも貼ってもらい、入学コンパなどでの無理な「一気飲み」で、あたら若い命を散らせないために。
回想
「江ノ電 想い出を走る」と題された「江ノ電」の発行するカレンダーを今年も手に入れて、診察机の横に飾った。一月の絵は、昔の藤沢駅の冬景色であった。
診察の椅子に座ると、その絵に気付いて、八十歳の老婦人Kさんが口を開いた。
「先生、これ、昔の藤沢ですねえ」
「そうですね。まだ、ホームが地上にあって…、駅の建物が木造で、六角形の屋根だった…」
「懐かしいですねえ」
最近は足が弱くなって外出もままならないと嘆くKさんは、しばらく、その絵に見入っていた。
七十九歳のTさんは、このカレンダーを購入した一人という。
「私が女学生のころ、これが通学電車でした」
この駅の先に、昔は某という駅があったとか、どこそこの駅で下りると何とかという遊園地があったとか…、もう私も知らない古い記憶が次々と蘇って、診察室の中には、しばし、旧き江ノ電の香りが満ちていた。
二人の老婦人の「想い出を走った」江ノ電、女房には「オタク扱い」される私の鉄道趣味も、時には、患者さんとのコミュニケーションの役に立つのだ。
打戻(うちもどり)峠
午前中の診察も終わった二月のある昼休み、西の空を見ると富士山がその白い姿をクッキリと現している。私は、昼食を後回しにして、カメラ一式を愛車「ビート」の助手席に放り込むと、すぐに家を出た。
目的地は、藤沢市のはずれ、現在、慶応大学の建つ台地、「打戻交差点」を少し上った所。その地形から、私が勝手に、「打戻峠」と名付けた地点。西向きの斜面で、高圧線の鉄塔などに妨げられずに、箱根から丹沢連峰そしてその後ろに高く聳える富士山が一望できる絶好の撮影ポイント。
ある夜、藤沢方面からの帰路、中央分離帯のある片側二車線、街路灯が点々とともる、しかし、車の姿の見えない広い道路に迷い込んだ。「こんな所にこんな道路が?」といぶかりつつ車を走らせると、その広い道は突然消え失せ、真っ暗な田舎道となり、上りつめた所が、前下方に寒川から伊勢原にかけての家の灯が見える地点、林や畑に囲まれた「打戻峠」であった。
その後、何回かこの辺りを通ることがあり、ここが富士を狙う絶好のポイントであることを知って、今度は、撮影のために通うことになった。
湘南台から慶応大学を経て西に向かう、その広い道路の延長工事が、「打戻峠」に迫っている。整備されればと、電柱が立ち、交通標識が並び、この鄙びた風景も見られなくなってしまうであろう。
急がねば、急がねば、今のうちにこの風景を残さねば。「峠参り」がまだ続く。(戻る)
チビチビ
今年も、花粉症の季節になって、鼻炎や結膜炎の患者さんがクリニックに増えてきた。
二十一歳のタカス君もその一人、「ティッシュが離せないほど、鼻水が出る」と、やって来た。
「こんなになるまで、何故、放っておいたの?」
「去年の薬が少し残っていたんで、それを、チビチビ飲んでいたんですけどね。とうとう、無くなっちゃって」
酒でもあるまいし「チビチビ」なんて。薬は、一日何錠と決められたように服用しなければ、あまり効果はありません。
けれども、血圧の薬を、「チビチビ」飲んでいる患者さんも、結構多いようなんです。
めまい(その1)
Kさんの奥さん、日頃元気なN子さんが、ある日、突然、激しい目まいを起こした。Kさんは、店の戸を閉めるのも忘れて、N子さんを自動車に乗せると、当クリニックに駈け込んで来た。
N子さんは、血圧も正常、四肢の麻痺なども見られない。内耳性の目まいと考え、処置室に横になってもらうと点滴を始めた。
その間、Kさんは、動物園の熊のように、クリニック内を落ち着きなく歩き回っていた。
三時間ほどの安静で気分の落ち着いたN子さんは、「店が心配だから」と一度帰宅していたKさんが迎えに戻ってきて、車で帰っていった。
数日後、仕事の用事で、Kさんがクリニックに立ち寄った。
「奥さんの具合は、その後、どうですか?」
「いや、お蔭様で、大分、良いようです。しかし、あん時は、本当に助かりました。なにしろ、店の方は、帳面から金の出し入れまで、全部、女房に任せきりなんで…。あのまんま、あいつに逝かれちゃったら、どうしていいか、頭ん中、すっかり混乱しちゃって」
Kさんは、奥さんの目まいに、自分のほうも、一瞬、目まいを起こしていたらしい。(人事ではない。私だって急に、女房に倒れられたら、目まいをおこすに違いない。)
花粉症
眼の痒み、鼻汁、鼻閉などを主症状とする花粉症は、春先の杉花粉に対するものが一番有名かつ強力なので、テレビの天気予報などでも、「花粉情報」などと取り上げられているが、これに隠れてヒノキ、マツ、ヨモギ、ブタクサなど数十種類の植物の花粉も、その原因として知られている。
カシワギさんの場合は、アレルギー性結膜炎が春に起こるが、その原因は、「梅」だと言う。「ガラス越しに『梅の花』を見ても眼が痒くなる」と言うから、そのアレルギーは相当なもの。
梅の花粉の成れの果て、「梅干し」を食べたら、お腹が痛くなるのではなかろうか。
(戻る)
春蘭
風邪で高熱にうなされている時でも、身だしなみ爽やかなアユカワヨウコさんが、化粧もされず、まさに「素ッピン」状態で来院された。眼のまわりも、額も頬も、地図状に赤く腫れ上がって、見ただけでも痒くなりそうな、折角の美女が台無しという容貌で、とても化粧も出来るような状態ではなかった。薬品によるカブレだろうか、動植物に接触したのだろうか。
「何時からですか?」
「昨日からです。…とても…痒くて」
「その前の日ぐらいに、どこか、山に遊びに行ったことは?」
「あります。一昨日行きました」
「それから、薬を何か使ったことは?」
「あっ、それも、あります」
「何を使いました?」
「やはり、一昨日、髪染めを使いました」
「ウーン、どっちだろう!」
ちょっと考えていたヨウコさんが言った。
「実は、山に行った時、薮の中に入って…、その、春蘭を掘ったんです。あれって、本当は、採ってはいけないんでしょう?…だから…、その、『たたり』でしょうねえ。やっぱり、悪いことはしてはいけないんです」
結局、その皮膚炎の原因は分からなかったが、山の大好きなヨウコさんは、今後は、決して春蘭には手を出さないでしょう。
一枝の花
Kさんに、一枝の花を戴いた。薄紫の紫陽花に似た小さな花が、その頂にいくつか咲いている。薬の空き瓶に入れて、私の診察机の片隅に飾った。
「先生、珍しい花ですね、何という花ですか?」
「正確ではないんですがね、戴いた方からは、『七段花(ななだんか)』と教わったんですがね」
「何か、紫陽花に似ていますね」
「紫陽花の種類とか、原種とか聞いたんですが、どうも、詳しいことは…」
ある人は、
「先生、これ、『隅田の花火』じゃありませんか?」
また、ある人は、
「これが、白かったら、『隅田川の花火』とかいう花ですよね」
花に興味を持つ人が多く諸説が出るが、この花が正確には何なのか結論がつかないままに、まだ、机の上に咲いている。
花は呟く。
「名前なんて、どうでもいいじゃないの。私のお蔭で、診察がスムーズに行ったんだから…」
ザリガニ
「キンコーン、キンコーン」、激しく鳴るドアチャイムに、木曜日の午後、休診の一時を鉄道模型工作にあてていた私は、工具を置くと慌てて外に飛び出した。
クリニックの前、道路の真ん中に、少年が一人、自転車と一緒に倒れている。大人が二、三人その周りに立って騒いでいる。
「先生、大変、大変!」
「どうしたの?」
少年は、しかし、顔を伏せたまま動かない。丁度、犬を散歩させていたというSさんが事情を説明してくれた。
「自転車で走っていたら、そこの曲がり角で、いきなり転んだんですよ」
そばには、バケツが一つ転がっていて、少年の回りには数匹のザリガニが這いまわっていた。ザリガニの大漁に喜んで家に急ぐ途中であったらしい。
少年が、少し顔を上げた。顔中、血だらけである。
「あっ、オバタ君じゃないか」
近所に住む、顔見知りの男の子であった。
オバタ君が、少しづつ体を動かし始めた。意識もはっきりしているし、骨折もないようだ。
私は、這い回るザリガニをバケツにもどすと、クリニックの前までオバタ君を移動させ、救急車を待った。
次の日、偶然に、オバタ君の母親に郵便局で会った。
「あっ、先生、昨日がありがとうございました」
「どうなりました?」
「顔中、擦り傷だらけで、口の中も何ヶ所か縫ったんですけど、幸い大事にはならなくって」
「それは、まずまず、よかった」
「あの子は、活発というか乱暴というか、いつもハラハラしているんです」
「男の子は、そのくらいでなくちゃ。家の中でテレビゲームなんて、子供らしくないですよ」
「私は、その方が、安心なんですけど」
オバタ君も五年生、もう少しして中学生にでもなったら、急に大人になって、ザリガニなんかにまったく興味をしめさなくなるだろう。
大人になるというのは、少年の夢を失うこと、ある意味では、とても寂しいことでもあるのだが。
蹄鉄師
八十六歳のシモダさんが、久々に来院された。一通り診察が終わって処方を書いていると、付き添ってきた娘さんから、こんな質問があった。
「先生、これは、何処で診てもらったらいいんでしょうか? 爪が厚くなって、靴に当たって痛いというんです」
見ると、足の親指の爪が両方とも、一センチメートルほども厚く盛り上がって、まるで馬の蹄のようになっていた。
「これでは、靴が当たりますねえ。だけど、普通の爪切りでは、とても切れそうにないし…」
ハタと考えついて、私の工具箱から、電線を切るニッパーと鉄ヤスリを持ってくると、その牡蠣殻のような爪を切り始めた。
全体に薄く小さくなったところで、表面に残ったササクレを鉄ヤスリで擦って落とし、靴下が引っ掛からないように仕上げて終了。
私の鉄道模型のための工具も、思わぬところで役に立つ。
一石二鳥
Tさんは五十八歳の男性、市の検診を受けるため、当クリニックには初めての来院であった。
百六十三センチ、五十八キロと身長、体重のバランスもよく、血圧も正常域で、健康上何の不安もないようにみえたが、
「先生、私、中性脂肪が心配なんです。以前、千(ミリグラム)以上あって、『よく、これで、何も起こらないね』と言われたことがあったんです」
中性脂肪の標準は百五十ミリグラム以下で、千以上もあるということは、血液の流れが滞りがちになり、血栓症(脳血栓や心筋梗塞など)を起こし易い。
「運動と食事で、すいぶん減らしたんですがね」
何よりも、今の仕事、「宅配便」が身体に良いのだという。
「自転車で書類や小荷物を運んでいるんですが、おかげで、体重は七、八キロも減って、中性脂肪も正常になったんです」
高いお金を払ってダイエットに励む人もあれば、お金を稼いだ上に、健康まで手に入れる人もいる。
特急
休診の午後の事、横浜駅で乗換の電車を待つ間に、腹痛を覚えたので中央地下通路のトイレに飛び込んだ。
用を済ませ手を洗い一息ついたところで、トイレの片隅に、「あさかぜ」、「みずほ」、「はやぶさ」、「さくら」、「踊子」、「銀河」、「瀬戸」、「富士」と、横浜駅に停車する歴代の特急列車の名前が並び、その幾つかに電燈が点っているのに気が付いた。
それは、さっき私も使った「個室」の名前で、点灯しているのは、「使用中」という訳である。
和風の旅館では、部屋毎に、例えば「かもめ」「千鳥」あるいは「わかば」「もみじ」などと、名前をつけて呼ぶことは良く知られているが、トイレの「個室」それぞれに名前があるのは、ここが初めてであった。
急用を覚えて飛び込んだ旅客は、その前でつぶやく。
「おっ、『あさかぜ』は満員か、それでは、『はやぶさ』に乗って行こうか」
結晶
八十歳のTさんが、まだ小学校二三年生というから、今から七十年以上も昔のこと、海軍士官であったTさんの父親から、「海藻を原料にヨードを採る」方法を教えられた小動の漁師が、これを事業として始めたという。
ある日、その「工場」を見学する機会があった。
「大きなガラスの壷の内側に、青いような茶色のような針のように光る結晶がたくさん出来てましてね、それは、とても美しいものでしたよ。今でもその美しさは忘れませんね」
子供の頃の思い出というものは、辛かった事、嫌な事が、時と共に浄化され、心の中に美しく純粋な結晶を作っていく。
Tさんの心の中には、そんな「結晶」が、幾つもあるようだ。
行き先
Tさんは、おもしろいことを考えつく人だ。
「私は、いつも疑問に思ってるんですけど、先生、薬は本当に自分の行く先(働くべき所)を知ってるんでしょうか」
「えっ、どういう事?」
「私が飲んでいるのは、脳の働きを良くする薬でしょう? それが、本当に脳で働いているか心配で…、折角飲んでも、足の指なんかで働いたら、何の役にもたたないでしょう」
薬というものは、目的の臓器のレセプター(受容体)と結合して働くように設計され、それぞれの場所で効果を出すように作られているから、Tさんの心配は無用なのだが、しかし、素朴な疑問としてはよく分かる。
「Tさん、これから薬を飲む時は、いつも薬に言い聞かせてから飲んで下さいね」
「そうですね。『必ず脳に行くんだよ』って言い聞かせることにしましょう」
薬が、本当に意思を持っていたら、それはまたそれで恐ろしいような気もするが…。
ミセス・ダイアナ
Sさんの奥さんが、「自宅で看ている老人の事で、折り入って相談がある」と診察室に入ってきた。
「介護が自分一人の肩にかかって」と嘆くその話は、何時しか夫のSさんの事に及んだ。
「夫は、あのような性格でしょう。自分の事ばかり勝手にやっていて、家のことは、まったく顧みないので…」
「私は、まるで、『ダイアナ妃』みたいですわ。性格の不一致と言うのでしょうか、夫とは擦れ違いばかりで…。私の一生は、何だったんでしょ う」
「香川のダイアナ妃」に同情の外はないが、時の人、ダイアナ妃と比べて唯一異なる事は、怪しい男性の影が背後にチラつかないことであろうか。
百歳
Oさんの家から電話が入った。今年九十歳になったYさんの様子がおかしいので往診してほしいという依頼であった。開院十五分前という際どい時間であったが、取りあえず往診カバンを持って車に飛び乗った。
前夜十時頃から急に呼吸がおかしくなり、意識も混濁し、人の言う事も分からない、また、意味不明の言葉を喋り続けていると言うのである。
血圧は下がり、足先にはチアノーゼも見られる。脳梗塞を起こしたのだろうか、心筋梗塞の再発作によるショック状態なのであろうか、ともあれ、重篤な状態と見受けられた。
十数年前、最初の心筋梗塞を起こして以来、何回かの狭心症あるいは心筋梗塞の再発作を繰り返しながらも、その都度、「奇跡の回復」をみてきたYさんもいよいよかと、主だった家人にその旨を告げ、今回は入院させず、最後まで家で看るという話を手短に決めてクリニックに戻った。
その日の昼休み、他家の往診の帰り道、Oさんの家に、もう一度寄ってみた。一族郎党であろうか、たくさんの人がYさんの周りを取り囲んでいた。Yさんは、相変わらず意識は混濁し、状態に改善は見られなかった。
次の日の昼休み、再度往診すると、Yさんは、ベッドの隅に自力で座り、何やら家人と大声で話をしているではないか。前夜、意識が戻ると、「起こしてくれ」と家人に頼み、食事も自力でするまでになったと言う。
Yさんは、私の顔を見ると、ニコッと笑って大声で言った。
「先生、まだ、生きられるかね?」
「イヤー、恐れ入りました。私の負けです」
私は冗談めかしてYさんに頭を下げたが、内心、その底知れぬ生命力に恐怖すら覚えた。
この分だと、皆の噂通り、Yさんは本当に百歳まで生きるのではなかろうか。(戻る)
浮気
午前中の仕事も終わり、カルテの整理もついてホッとしたところに電話が鳴った。妻が、「静岡のYさんからよ」と言う。Y君なら小学校の同級生、もう十数年も会っていないので、何だろうと電話を替わった。
「やあ、ミワさんですか。私、Yです」
「小学校の同級生の?」
「ええ、そうです。どうも、お久しぶりです。ところで、早速ですが、ちょっと折り入って相談があるんですが…」
挨拶もそこそこに、直ぐに本題に入ろうとする真剣な口ぶりに、私は椅子に座り直した。
「で、何ですか? 私に」
「実は、離婚話なんです」
「えっ、君の?」
「いえ、僕じゃない。ちょっと、頼まれてしまったんです」
Y君の話からすると、ある男性から、妻の浮気の証拠を押さえて離婚したい、ついては、浮気の現場と思われる所に残ったモノ、例えば毛髪とか、血液とか、あるいは「体液」とかを分析して妻の相手の男性のものであると証拠にしたいので、誰か医者を紹介してほしいと頼まれたというのである。
「Y君、それは無理だよ。殺人事件とか何か犯罪捜査というなら警察も手を貸してくれるだろうけれど、浮気の相手捜しじゃねえ。それに、そんなこと、普通の医者では出来ないよ。法医学でも専門にしていれば、別だけれど…。プライバシーの問題もあるから、誰もそれには協力出来ないよ」
日頃付き合いのない私にまで、電話をかけてきたY君、その件でホトホト困り果てていたらしい。私の答えを聞くと、急に元気な声になった。
「そうだろう、そうだよねえ。そんなこと、医者は、誰もやらないよねえ。分かった、頼んできた男に、そう伝えるよ。どうも、ありがとう」
近況を伝えあう間もなく、電話は切れてしまった。
「かさなっていればいればと忍び足」という古い川柳がある。江戸の昔から、浮気は踏み込んで現場を押さえないと、いくら傍証を固めても、白をきられてはどうにもならないのである。
数年前から、「保健・医療・福祉サービス提供調整チーム検討会議」という、長ったらしい名前の会議、簡単に言うと、市の福祉行政の縦割りの弊害を少なくしようと、民間も交じって、横に風通しよくしようという試みに、医療側の顧問のような形で月一回参加している。
毎回検討される議題は、病気を持つあるいは惚けの始まった独居老人や高齢者夫婦、あるいは、同居者はいるが折り合いの悪い老人などに対する、市としてのサービスをどうするかという様な、気の詰まる暗い話が多い。
その中で、少しホッとするような話を、幾つかまとめてみたい。
小さな花
大石ウメさんは、九十六歳の独居婦人、近所に住むNさんに面倒を見てもらいながら、今までともかくも一人で生活をしてきた。
しかし、徐々に、体力も衰え、また、夜間に大声を出すなど痴呆の症状も見られるようになってきた。これ以上一人で置いておくわけにはいかないと、市の福祉が手を伸ばすことになった。
ヘルパーさんが訪問してみると、家のあちこちに放尿の跡があり、猛烈な悪臭の中で生活をしているという。
ケースワーカーが身寄りを捜してみると、近くに二人の孫が居ることがわかったが、二人とも自分の仕事が忙しく、とても祖母の面倒は見られないという冷たい話で、しばらくは市が面倒をみることになった。
ある日、その孫の一人が、「祖母の家を建て替え、その後は祖母を引き取りたい。ついては、建築の間、施設で祖母を預ってほしい」という話が持ち上がった。
「面倒は見れないという話じゃなかったの?」
「本当に、引き取るつもりがあるのかな?」
「結局、大石さんは施設に預けっぱなしにするんじゃない?」
しかし話はドンドンと進んで、数カ月後、新築なった家に大石さんは引き取られた。それからは短い人生ではあったが、孫の世話を受けながら、ともかくも幸せに過ごしたと言う。
その後日談は、日頃、欲得の絡んだ、暗い、汚い、人の世の裏面を多く見せつけられているメンバーの心に咲いた、「小さな花」であった。
風呂嫌い
岩井半次郎さんは九十七歳の男性、大の風呂嫌いで、数年前自宅の風呂が壊れたのを、これ幸いと、以来入浴しなくなった。
奥さんと二人住まいで、身体も弱って来たため、市のサービスを受けることになった。その為に、診断書が必要になり、ヘルパーさん同伴で病院に出向いたところ、診察した医者からも、「この次は、入浴させてから来て下さい」と言われる始末。まわりは、皆で、なんとか入浴させたいのだが、本人は頑として応じない。
ある時、ヘルパーさんが、不思議なことに気が付いた。半次郎さんの、両膝から下が妙に奇麗なのである。
「半次郎さん、どうして、ここだけ奇麗なの?」
「釣りが好きだから」
「?」
釣りの好きな半次郎さん、よく、近くの川に行き、膝まで水に浸かって釣りを楽しむのだという。
夏になったら、釣りに誘って、川の深みに誘い込んで、ついでに身体も洗ったらなどという悪い計略、いくらなんでも、九十七歳の老人には出来ない。
呑ん平
市の介護サービスを受けているツヤコさんの夫、トオルさんは、九十一歳の高齢ながら酒が大好き、晩酌が欠かせない。
家族達は、その年齢ゆえに少しでも酒量を減らさせたいと、いろいろ知恵をしぼる。まず、最初に考えたのは、お酒を薄めるという方法であった。
始めは、酒の二割ほど水を加えてみたが気付かれなかった。次には、それを五割にしてみたが、まだ分らなかった。しかし、十割、すなわち等量の水で薄めたあたりから、本人も少し変だと感じたらしい。
「おい、この酒は少し味が薄いぞ。酒は、『安売りの酒屋』じゃなくて、ちゃんとした店で買わないといかんぞ」
最近では、始めのお銚子一本には本物が、二本目からは水が入っているのだが、今のところ気付かれず「家族側の勝」。
しかし、これも何時まで続くか分らない。「呑ん平」と家族の、果てしない戦いが続く。
デイサービス
Kさんは八十六歳の男性、最近家に閉じ寵もり勝ちなので人との交流がほしいと、デイサービスを自ら望んで申し込みがあった。
前年秋に受けた検診の結果、肝機能も悪く、また、血液の中の蛋白の量も少なく、すなわち、栄養不良を示している。そこで栄養指導のためにKさん宅を訪れた看護婦さんは、普通には見られないほど丸々と肥えた、二匹のポメラニアンに出迎えられた。
Kさんは酒好きで、食事は全部犬に与えて、酒ばかり飲んでいる。その結果、自分は栄養不足で肝臓が悪くなり、飼い犬は太ってしまったというのである。
家に居るとこの「悪い」生活が変えられない、禁酒のためにも外に出ようと、一念発起、デイサービスを希望したというのが実情であった。
動機には多少疑問も残るが、二匹の犬達の健康のためにも、ぜひ早く、デイサービスを始めよう。
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思い出作り
幼児検診のため、市役所に出向いた。検診は三人のドクターで受け持つことになった。
待合室は、赤ちゃんを抱いた若いお母さんで一杯であった。最近では、その日仕事を休むのであろうか、若いお父さんの付き添う姿も見られ、また、祖父母まで付き添う組もあった。
そんな中で、太めの身体にピッタリとしたジーパンをはき、カメラを持った、一人の「若いお婆さん」の活躍が目立った。
初孫の検診なのであろうか、受付でパチリ、待合室でパチリ、診察中をパチリ、最後には、診察したドクターも交えて一枚と写真を撮りまくる。
この次の検診の時には、私も、髭を剃り直し、髪を整え、白衣も改めて来よう。もし、その、「カメラマニアのお姿さん」に遭遇したら、孫のアルバムに一生残ることになりそうだから。
幻覚
三叉神経痛を患うNさんが、最近、幻覚に悩まされている。
多くは、深夜、一眠りして眼を覚すと、壁一面が花園になっている。「どうして、こんな所に花が咲いているのだろう」、夢と現実の狭間に数十分遊んでいると、その内に花園は消えて、本当に眼が覚めるのだという。
時には、壁から砂が湧き出して来たり、あるいは、手足のない男が立っていたり、また、トラックが正面から迫ってきたり、恐怖のため大声を出してしまうこともあるという。
この幻覚は、神経痛の治療のために服用する薬の副作用のためらしいが、担当の医師も、
「徐々に薄れるから、あと数カ月『戦って』下さい」
と言うばかりで、「Nさんの戦い」は、まだしばらくは続きそうである。
私も、時に、「疲れる夢」を見ることはあるが、Nさんのそれには遠く及ばない。)
坊主道
茅ヶ崎の北辺、下寺尾に開発の手が入った。商店を営むYさんの家の周りでも、毎日、ブルドーザが唸りを上げ、ダンプトラックが多量の土砂を運び込んで来る。
「お宅も、区画整理に引っ掛かるの?」
「ええ、だから、店を一時動かさないといけないみたいで」
「それは大変だね。同じ所に戻れないの?」
「そうするには、一度動いて、また、元の所に店を作るから、二度手間になるそうで…」
「お宅の店は、あの辺りでは、目印になるから、よそに動かれると困るね」
「でも、あの道もなくなるそうですよ」
香川から篠谷を抜けて下寺尾のYさんの店の横に通じる、江戸時代から続く古い道も、区画整理でなくなってしまうのだと言う。
「あの道は、昔、『坊主道』と呼ばれていたそうですよ」
「へえ、なぜですか?」
「芹沢の坊さんが、香川の方に通うのに使ったかららしいです」
開発の波の下に、野鳥の楽園であった茅の原、下寺尾の自然も歴史も、全てが飲み込まれて行く。
食べたい
「先生ねえ、死んでもいいから、お腹一杯食べてみたいなあ。ビールも七、八本まとめて飲んでみたいなあ」
糖尿病で通院される、六十五歳のFさんの、口癖の台詞がまた始まった。
「息子はねえ、私の眼の前で御飯をお替わりするんですよ。それを見て、『私もお替わりしたいなあ』って言うとね、『おふくろ、馬鹿言うな。死んじゃうぞ』って怒られるんですけどねえ、私、死んでもいいから、お腹一杯御飯を食べてみたいなあ」
糖尿病の原因の一つは、それをおこし易いという遺伝的素因もあるが、もう一つの原因としては、いわゆる、「生活習慣病」として、若い頃からの永い間の食生活の影響がある。
ある年齢に達してから、糖尿病が発病したからといって、急に今までの食習慣を改めることは難しいことで、それが、しばしば、糖尿病のコントロールを難しくする原因にもなっている。
Fさんの「小さな願い」を叶えて上げたい気もするが、ここは、心を鬼にして、もう少し、食事療法をがんばってもらおう。
しかし、Fさんの言葉が耳を離れない。
「お腹一杯御飯を食べてみたいなあ」
クッション
腰や膝の痛みで、整形外科にも通院しているT子さんが、また、腰を傷めた。今度は、階段を踏み外したのだという。
庭に向かって下る階段を七、八段一気に落ちて、下の植え込みに手をついてその一部をへし折り、さらに勢い余ってその上を一回転して飛び越えて、したたかに腰を打った。腰ばかりか、身体のあちこちに紫色の痣をつくって痛々しい。
「よくその程度で済みましたね。下手したら、どこか骨折していてもおかしくないですよね」
「そうなんですよ。まだ、あちこち痛いけれど、骨を折らなかったのが、不思議なくらいで…。『自前のクッション』が役にたったみたいで…」
太ったとお嘆きの女性の皆様、貴女の腰に付いているクッションも、時には、貴女の身を護る大切な物なのですよ。
メルヘン
膝の悪いKさんは、以前から、リハビリを兼ねてしばらく逗留できる温泉を捜していた。場所がよければ値段が高く長く宿泊できないし、安いと思ったら遠方で行けないしと、大分悩んだ末に、箱根のある旅館を予約したという。
山を背にした古びたその旅館に着くと、迎えに出てきた女将は、「メルヘンの魔女」、まるで西洋のおとぎ話に出てくる魔女とそっくりであった。
自宅からそこまで送ってきたタクシーの運転手さんは、
「奥さん、ほんとに、ここで良いんですか?」
と、しきりに目配せをする。
しかし、一緒に迎えに出てきた女将の息子さんが物腰も丁寧で、また、予約もしていたので、ここにしばらく泊まることにした。
宿は森の中にあり、また、梅雨の季節でもあったので、部屋の中がやや湿気が多いことが気になったが、料理もおいしく、宿泊料も安かったので満足して帰ってきたという。
もしもKさん、もっと長く逗留していたら、充分に太らされてお菓子に焼かれてしまったかもしれない。
西洋の童話に、そんな恐いお話があったような…。
大根おろし
腰痛症に悩む人は非常に多い。人類が直立歩行を始めたために起こった「ヒト特有の病気」というが、かく言う私も、ここ数年、これに悩まされている。 そのためか、腰痛症に対しては、古くより、色々な治療法が考えられてきた。
鎮痛剤を使うというのは、最もポピュラーな方法であるが、整形外科医は、これに加えて、骨盤牽引という「拷問」を好んで行っている。
コルセットを使用することも奨励されるが、最近の、メッシュの物ならまだしも、昔の紐で締めるようなタイプのものでは、夏は、本人もまわりも汗臭さくてたまらないし、アセモの原因にもなりかねない。
腰痛体操などと呼ばれる体操法、あるいは、ストレッチングなども、予防のためには効果があるが、痛みが再発した時などは、むしろ苦痛以外の何物でもない。
最近、ある人から聞いた治療法はユニークだ。毎日、三食毎に、「大根おろし」を茶碗一杯づつ食べるというのである。
「先生も、腰が悪いなら試してみたらー、私の腰は、すっかり良くなったよー」
大根の安い時節ならともかく、端境期などでは、随分高い治療法になりそうだ。それに、この治療法、胃腸の具合がよくなり太ってしまい、かえって腰に悪いような気もする。
(戻る)
カギサナムシ
「先生、『カギサナムシ』って、知ってますか?」
校医をしている高校の女生徒からの突然の電話での質問に、私は一瞬うろたえた。
「何、カギサナムシ? どんなムシ?」
「カギサナムシといって、汚い水溜まりに棲んでいて、それに触ると卵が皮膚に着くんです」
「それで?」
「その卵が、体の中に入って、体中を回って、最後は脳に食い込んで棲みつくんです」
「何だい、そんなムシ、知らないなあ」
「ほんとに居ませんか? カギサナムシって言うんですけど」
どうやら、その女生徒は、汚い水に手を触れた後で、誰かにそんな話で驚かされたらしい。
「カギサナムシ」という音からは、俗に言う「サナダムシ」、正式には、有鈎条虫(口にカギのあるサナダムシ)が想像されるし、彼女の述べるその「症状」からすると、ライギョやドジョウを生食するとうつる顎口虫症、淡水魚を生食してうつる肝吸虫症、あるいは、犬やキツネからうつる包虫症なども思いつく、しかし、いずれも「カギサナムシ」とは呼ばれない。
「でもね、卵が皮膚に着いただけでは、病気にはならないよ。皮膚に傷があるとか刺されたとか、それとも、食事として口から入らなければね」
「ああ、そうですか。じゃ、いいんです。どうも、ありがとうございました」
電話は、安心したような声で切れた。
カギサナムシ、カギサナムシ、人の想像の中には、とてつもなく恐ろしい虫が棲みついている。
花粉症異聞
1)ティシュペーパー
花粉症のシーズンになると、鼻炎の薬を出している製薬会社の販売促進員(MR)は、それぞれ、自社製品名の入った宣伝用のティッシュペーパーの箱をいくつか携えて、クリニックを訪れてくる。
おかげで、クリニックの薬棚の上には、ティッシュの箱が山のように積み上げられることになる。
薬の効果の不十分な重症の患者さんには、例えば、「ティッシュペーパー2箱/2週間分」とでも処方して、この山をなくそうかなどとクリニックの中で冗談を言っていたが、実は、薬屋さんも、自社製品が効かない時の最後の手段に、このティッシュペーパーを持って来ているのではあるまいか…。
2) 眼薬
花粉症の症状としては、クシャミ、鼻水、眼のかゆみなどが主な症状であるが、重症例では、微熱、咽頭痛、あるいは、咽頭のかゆみ、およびそれに伴う咳などが知られている。
Hさんの場合、「眼とのどが痒い」ことが主な症状で、しかも、その両方の症状とも、点眼薬(目薬)を使うのみでよく治まるというのである。
多分、眼にさされた点眼薬は、眼と鼻をつなぐ「鼻涙管」を通って鼻の奥から咽頭に拡がって効果を現すものと考えられる。
「眼から鼻に抜ける」とは、まさにこのことであろうか。
3) 名簿
診察机の上に、四十人ほどの名前を書いたメモがある。過去五年間、春の季節のみ来院される、「花粉症」の患者さんの名前である。
一人一人のカルテを見返してみると、年により、服薬を始めた時期、服薬量、あるいは服薬の終了時期が異なり、それはどうも各年毎の杉の花粉の飛散量と深い関係があるように見える。
その観点からすると、今年(平成十一年)は、その道の専門家の予想通り、杉花粉の飛散量は少ないようで、この名簿の中の患者さんの中にも、今年はまだ来院されていない方が、何人もみられる。
おかげで、三十年来の花粉症患者の私も、今年は「楽しい春」を過ごさせてもらっているのだが…。
4) 職業病
当クリニックの北側には、三つのゴルフ場が並んでいるが、そこに働くキャディさんの何人かが、花粉症で通院されている。
ゴルフコースを区切る林に杉の木が植えられており、毎年、春の杉花粉が飛ぶシーズンになると、コースを歩く間、眼は痒いし、クシャミは出るし、「大変なのよ」と嘆いている。
Aさんの場合、杉花粉にはあまり反応しないが、杉の花が終わった四月から五月頃になると、おきまりの症状で苦しむという。どうも、「芝の花粉」が原因らしいのである。
ゴルフ場は、どこに行っても芝ばかり、仕事を休むわけにもいかないし、大層辛いことであろう。
「花粉症」はキャディーさん達の「職業病」の一つらしい。
差出人のない手紙
ある日、差出人の名前がない手紙が届いた。表書きは毛筆書きで、厚さもあり、何か固い物も入っているようだ。
不安を覚えながら恐る恐る開封してみると、当クリニックの薬袋に入った、Mさんに渡したはずの血圧の薬が一ケ月分と、和紙の便箋に、これも毛筆で書かれた一枚の手紙が出てきた。
便箋の左半分には鎌倉の鶴岡八幡宮周辺の略図が描かれており、鎌倉散策中に、「地図に示すところでこの薬袋を拾ったので、患者さんに渡してほしい」との主旨であった。薬袋のクリニックの住所を見て、わざわざ送って下さったようである。
Mさんに電話をすると、
「そうなんです。診察を受けた後で鎌倉に遊びに行き、何処かで薬を落としてしまったんです」
後日、来院の約束をして電話を切った。
「鎌倉を散策する達筆の人」、そして「此方の氏名はお気遣いなさると恐縮なので失礼致します」と結んだ手紙に、私は「差出人」は教養のある初老の人と確信した。
モルモット
Tさんは高血圧症で定期的に通院されている御婦人、ある店でパートタイマーとして働いている。
今日も診療が終わる間際に駆け込んで来た。
「急いで来たから、先生、血圧は上がっていると思うわ」
しかし、Tさんの血圧は、いつもより低いくらいであった。
息をつめるような仕事や運動、自動車の運転、あるいは対人関係や不眠などの、ストレスが血圧を上げる原因の一つになることを話すと、
「そうか、今日は『オーナー』がご機嫌だったから、私の血圧が下がっているんだわ」
そして、帰り際に一言、
「今度、『オーナー』の機嫌の悪い時に来て、測ってもらうわ。ほんとに上がるかどうか」
何事も実証は大切だけれど、まあそこまで自分をモルモットにして実験しなくても…。
チョーク
私が校医をしている県立高校では、新入生検診の時、各自の健康状態の把握のために、簡単な問診表を記入してもらっている。
Mさんの問診表を読んでいくと、「アレルギー」の項に「チョーク」と記入されているのに気がついた
「この『チョーク』って、何なの?」
「黒板に書くチョークです」
「どうなるの?」
「あの粉が手につくと、痒くなるんです」
チョークの粉を吸い込んで咳をするなら理解できるし、また、そんなアレルギーの事例もあったが、その粉に触れると痒くなるという例は初めての経験であった。
私の高校時代、英作文の時間などに、数人の生徒が黒板の前に呼び出され、チョークを片手に、解答を出すのに苦闘した思い出がある。
Mさんの場合は、こんな事は当然パス、また、黒坂拭きの掃除も勿論免除されるだろう。ただし、将来、チョークを握る仕事、例えば教師になることは諦めねばなるまい。
入れ墨
これも新入生検診の時の出来事、女子学生Fさんの左胸、乳房の上に、黒い「二つ尾のあるトカゲ」を発見した時、私は思わず声を発してしまった。
「これ、入れ墨? どうしたの?」
「ああ、プリントしたんです」
まだ、あどけなさの残るFさんは、ただニコニコしている。どうも、「入れ墨のように見えるシール」を貼ってきたらしい。
「あなた、検診と知っていて付けて来たの? まあ、大胆ねえ」
検診を手伝っていた養護のI先生も驚きの声を上げていた。
私達の年齢では、「胸に入れ墨のある女」とは、「商売女」と同義語という先入観があるが、最近はそんな風には考えないらしい。
ピアスはあたりまえになって、男子生徒も耳に光らせるようになっている。耳飾りや入れ墨に興味を示すことは、時代が進歩しているのだろうか。それとも、原始の昔に戻っているのだろうか。
泳法
七月中旬、学校医を務める北陵高校で、夏休みの「合宿前健診」が行われた。大所帯のサッカー部を先頭に、クラブ単位で健診がすすめられた。
この学校は部活が盛んである。まだ体の細い一年生、一年鍛えられて逞しくなった二年生が集まり、保健室の中はかなりの騒音であった。
水泳部員を診ているとき、背中にくっきりと水着の跡が残る女子生徒を見つけた。
「君は何が専門?」
「平泳ぎです」
なるほど胸部の白さに比べ背面が黒いことに納得がいった。次の女子生徒も同様、背中のみ焼けている。
「君の専門は?」
「フリーです」
それでは、背中より胸の方が黒い選手はいないだろうか。私は密かな期待を持って水泳部員の診察をすすめていたが、残念ながらそのような焼け方の生徒は見つからなかった。
もしそんな胸の方が黒い選手を見つけたら、私はすかさず言っただろう。
「君は背泳が専門だろう」
中年
今年も新入生の健診が始まった。高校一年生と言っても、我々が同世代の頃より平均的に背も高く体格もよくなっているように見える。
いくつかの質問に対し、あらかじめ書き込んでもらった予診表を見ながら診察を進めていく。毎年の事ながら、花粉症、アトピー性皮膚炎、喘息など、いわゆるアレルギー性疾患を持つものが多い。
中に一人、「動悸や息切れ、階段を昇るとおこる」と書いてあるのが眼についた。背も高く、胸の厚さもあり、「逞しい」という印象の男子生徒であった。
「どうして君が…、貧血でもあるのかな」
よく聞いてみると、最近急速に二十キロも体重が増えたのだという。同じような訴えを持つもう一人の生徒が見られたので、
「君も最近太ったの?」
と聞くと、テレ笑いしながらうなずいていた。
恐ろしいことだ。「中年化」が高校一年生にまで及んでいるようだ。
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眼の下
高血圧症で通院しているオオハシさんが、右腕の肘のあたりに真白な湿布を貼ってクリニックに現れた。
「どうしました?」
「いや…、どうも…」
理由を言い難いのか口寵っている。
「大分、痛みますか?」
「いや、実は、そこの川(小出川)に釣に行って、こんな大きな鯉が掛かったんですけどね…、どうやっても釣り上げられなくて…、糸は切られるし、腕は傷めるし、散々でした」
「釣り落とした魚は大きい」と言うけれど、オオハシさんが両手で示した鯉の大きさ、眼の下一尺ほどの大物は、どうも、本当のようだ。
コルセット
診察の最後に、オカモトさんが言った。
「今日は、湿布も下さい」
「腰でも痛いんですか?」
「えぇ、歩く時、前屈みにならないと痛むんです。でも、先生から戴く湿布を貼ると、十五分ほどで、『ピッ』と腰が伸びるんです。あの、湿布は効きますね」
厚さ1ミリにも満たない薄い布の小片が、オカモトさんの腰をシャンとさせるのだという。
こんなに薄いコルセットなら、夏も熱くないし、ズボンの腰回りもスッキリとできるのだが…。
メラニン
クドウさんが、真黒に日焼けして、クリニックに現れた。
「よく焼けましたねえ、ゴルフですか」
「えぇ、私は、どうもメラニン色素が多いらしくて、すぐ、黒くなるんです。バンコック(タイの首都)に駐在していた時には、タイの田舎から出て来た『お上りさん』に、道を聞かれたことがありました」
私も、オーストラリアのシドニーの下町で、地元の住人であろう白人に道を聞かれたことがあった。多分、私は「華僑」にでも間違えられたのであろうが、クドウさんの場合は、その肌の色といい痩身の体型といい、「タイ人」以上にタイに溶け込み馴染んでいたのであろう。
女の呪い
八十七歳になるSさんが、グシュグシュしながら来院された。
「どうしました?」
「いやー、女房に風邪をうつされたらしいんだが…、女の体を通ったバイキンは、先生、『女の呪い』が乗り移っているせいか、強力ですなあ。女房のほうはすぐに治ったんですが」
公の場で発言したら、セクハラか差別語かと問題になりそうな会話であった。
いつも仲睦まじいSさん夫妻だが、もしかしたらSさん、若い頃に何か、今も「呪われる」ような心配を奥さんにかけたに違いない。
ヴィブラート
歳をとると、誰でも多少は手の振えなどが出てくる。「本態性振戦」などと難しい病名がついているが、その「本態」は充分に解明されていない。
八十二歳のワタリさんの場合は少し症状が強かった。大好きなカラオケに出かけても、リクエスト曲名が紙に書けないので、やむをえず他人の手を借りることになる。マイクを持つと手の振えが次第に強くなり、誰かマイクを押さえる係が必要であった。「何とかならないだろうか?」という相談であった。
たまたま読んでいた医学書に、高血圧症に使う薬の一つに振えを抑える効果があると書いてあった。そこで、ワタリさんに、この薬を試してみることになった。
服薬して二週間後、振えは大分少なくなって、マイクを自分で持てるようになった。四週間後には、リクエスト曲の名前も自分で書けるようになった。
「私はプロだから、マイクを振わせるのよ」
と強がりを言って、手の振えを我慢していたワクリさんであったが、その効果を大変喜んでおられた。
もちろん、それはそれで万々歳なのだけれども、尺八の道で言う「首振り三年」、「振え」が少し残っていたほうが、「ヴィブラート」が効いて、歌がより巧く聞こえること間違いない。
「日常生活には支障なく、歌は巧く歌える」、このあたりに「手の振え」をコントロールするのが、この薬を使う時の難しさ、まさに「匙加減」とでも言えようか。
やらせ
写真を趣味とするIさん、四季折々の写真で我がクリニックの一隅を飾り楽しませて戴いている。
写真毎に、それぞれ、「思い入れ」や「苦労話」があって、それを聞くのもまた楽しい。
七月の写真は、「紫陽花」であった。葉の上には大きな「カタツムリ」が一匹這っている。
「Iさん、これが、例の『カタツムリ』ですか?」
「いや、それが、違うんです」
「紫陽花には、雨とカタツムリがよく似合う」、Iさんは、そんな構図を頭に描いて被写体を捜し回ったが、近辺には見付けられなかった。そこで、二宮だかどこだかで、写真に使うため、「カタツムリ」を数匹採ってきたという。
そんな、「苦労話」を聞いていたので、これが、その「カタツムリ」かと思ったが、「あれは逃げたり、死んでしまったりで…」、やむを得ず、浄見寺の付近で見付けたものを葉の上に置いて撮影したのだという。
Iさん、そのうちに、「カタツムリ」を飼い馴らし演技指導して、「あっちへ這え」だの「そこで眼を出せ」だのと言うんじゃなかろうか。
咬傷
七歳のカツヒコ君が、緊張した面持ちで、お母さんに付き添われて診察室に入ってきた。人に噛まれたというのである。
ベッドに寝かせ裸にしてみると、右の前腕と右脇腹に、くっきりと歯形がついている。右腕のそれはただ赤くなっている程度だが、脇腹の方はシャッツの上から噛まれたというのに、何箇所か皮膚が剥離したりやや凹んだところもある。
ヒトの口の中は意外に汚く、たくさんの雑菌がいるので、念のため、よく消毒をしてから抗生物質の入った軟膏を塗布し、ガーゼを当てて処置を終わった。
「どうして噛まれたの?」
ショックのため言葉も出ないカツヒコ君に替わって、お母さんが状況を説明をしてくれた。
小さな子ども達がケンカを始めたので、正義感の強いカツヒコ君が仲裁に入ったところ、興奮していた片方の子供に噛みつかれたのだという。
内科を掲げていても、蜂に刺されたとか、猫に引っ掛かれたとか、あるいは犬に噛まれたなどと、本来は外科が診るべき疾患が時々は飛び込んでくる。しかし人に噛まれたというのは初めてであった。
それから二日後の新聞に、人に噛まれた傷から、重篤な感染症を引き起こした男性の記事が載っていた。引っ掻き傷程度の「咬傷」も侮れない。
ガムテープ
今年も、市の「胃がん検診」が始まった。御夫婦で予約の場合は、「同じ日で少し時間を違えて」という事が多いが、予約が混んでくると、そうもいかない。
アラキ夫妻の場合は、奥さんがある日の十一時から、御主人は次の日の十一時からと別れてしまった。
奥さんの予約時間になると、次の日のはずの御主人が現れた。
「私がちょっと外出している間に、アイツ、食事をしてしまって」
偶然にも、その朝は食事をしていなかった御主人が、検査日を交替するというのである。
検査を終わった御主人、
「今夜からアイツの口にガムテープを貼って、食事をしないようにしておきましょう」
この季節、検査が立て込んでくるので、キャンセルが出ると、次の予約が難しくなる。「つい食べてしまってキャンセル(食べキャン)」の前歴のある人には、予約の時に、ガムテープの小片も配ることにしよう。
精神安定剤
五十七才の男性、Tさん、以前から不眠症に悩んでおり、精神安定剤(睡眠導入剤)を時々服用していた。半年ぶりに、奥さんが、「仕事が忙しくて、本人が来られないのですが」と薬を取りに来院された。
「薬はどんな風に飲んでいますか?」
「毎日は必要ないんですが、会議のある前の夜などは、色々と考え込んで眠れなくなるみたいです。『明日の会議は喧嘩するぞー』なんて言って飲むんです」
本人はもちろんだが、喧嘩相手にも安定剤を飲ませれば、議事はなごやかに進行すると思うが、問題は誰が相手に一服盛るかだ。
設備投資
定年退職したSさん、ヒマを持て余し家庭菜園でも始めようと土地を借りた。鍬や鎌、長靴に手袋そして麦藁帽子、さらには、肥料まで一式買い込んだ。
しかし決断した時期が悪かった。毎日、雨の続く梅雨空を恨めしげに見上げて、やはりヒマを持て余している。
めまい(その2)
午前六時、電話で眼を覚した。Kさんのお宅から、「母が『めまい』がひどいので、往診してください」という要請であった。不整脈を基礎に持っているKさんのこと、「脈が遅い」という電話の話から「心臓疾患からのめまい」も心配されるので、救急車を呼ぶことにした。
それから間もなく午前八時、今度はTさんから電話が入った。昨日から始まった「めまい」が治まらないので、会社に出る前に処置してほしいとの要望であった。
Tさんの点滴が終わりかけた八時半、今度はNさんがクリニックに現れた。「しばらく無かった『めまい』が今朝から始まって」と、青い顔をしていた。
どうして今朝は「めまい」ばかり続くのだろう。天候でも変わるのか。こんな日が続いたら、私も「めまい」を起こしそうだ。
<医者の落書き2 おわり>
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