以下、歩いた順に写真とコメントを記します。
2013.11.8 戸山が原を歩く会
・少々厳粛な気持ちになったあと、「国立国際医療研究センター病院」に向かう。この病院はかつての陸軍病院であり、戦後は国立第一病院となった。第五福竜丸事件の久保山愛吉さんなどが入院した病院としても知られる。また、森鴎外は陸軍軍医学校の校長を務めたことがあり、その時に使用した机がロビーの展示コーナーに展示されている。
11月8日13時30分、戸山高校正門前に14名の人たちが集まりました。丸山洋明さん作成の27ページに及ぶ資料は、古い地図や写真がたくさん入っており、各現場で古い地図をもとに位置を確認しながら説明してくれるので、とても理解の助けになりました。また、古い写真もイメージをふくらませてくれます。
戸山公園西地区をゆく
歩き始めてから3時間近く。やや歩き方に疲れが見える
陸軍射撃場土塁跡(一部)
・箱根山を下りたあとは公園遊歩道を歩く。木々はようやく色づき始めたというところか。気楽におしゃべりしながらのんびりと歩く。今日は暑くもなく寒くもないちょうどよい天気だった。
なお、資料の地図によるとこの辺の南側には陸軍幼年学校があったようだ。
高田馬場駅線路向こうの「青柳」でお疲れさん会が始まったのは17時頃。宴会にはさらに2名増え、全部で16名になりました。参加者には戸山、早稲田、大久保地区などで育った人もおり、昔話にも花が咲いていました。よく飲み、よく食べてお開きになったのは21時頃だったと思います。よく覚えていませんが・・ (真塩記)
「登頂証明」という発想がとてもおもしろい
・病院から大久保通りを西に少し歩き、戸山公園の入口へ。この公園の中を少し歩くと、皆さんお目当ての「箱根山」がある。箱根山に登る前に丸山さんから付近一帯の説明があった。そもそも、戸山が原一体はかつて尾張徳川氏の下屋敷があった場所で、広大な敷地に大名庭園を作った。奇抜な庭園だったらしいが、広大な池を掘り、その土を盛り上げたのが現在残っている「箱根山」だという。
山の麓に建っている古い建物は陸軍の将校クラブ跡だそうで、現在は脇に日本基督教団の戸山教会が建っている。箱根山頂上でしばらく休憩。ゆっくりと長い時間歩いたので、結構疲れる。ここで、水越さんが「戸山公園サービスセンター」で箱根山の「登頂証明書」なるものを発行してくれることを発見。高田の馬場駅への途中にあるようなので、全員の分をもらってきてくれることになった。
・戸山高校から諏訪神社へ。諏訪神社は思い出に残っている人も多いだろう。諏訪神社の南側はかつて陸軍の砲術演習場があり、明治天皇の天覧所跡碑が建っている。
学習院女子大学、高校、中学の正門
女子学習院の敷地には近衛騎兵連隊兵舎等があった
現在の戸山高校正門
戸山高校の敷地にはかつて騎兵連隊の厩舎があった
明治天皇射的砲術天覧所跡碑
諏訪神社境内の南側にあり、明治天皇はこの場所から眼下で行われた砲術演習を観覧された
諏訪神社鳥居、本殿
諏訪神社は昔とあまり変わっていません
「静和」碑裏面の説明版
国立感染症研究所構内にある「静和」碑
第五福竜丸の模型
陸軍軍医学校校長時代、森鴎外が使用していた机
箱根山麓にある陸軍将校クラブ跡の建物。新しい建物はキリスト教会
箱根山頂上でしばらく休憩
戸山高校正門前にて丸山さんから概要の説明
国立感染症研究所正面
・諏訪神社から学習院に沿って東へ歩いたあと南に向かってゆくと陸軍医学校、防疫関係施設、病院等の跡地が続く。少し坂を登って、現在、国立感染症研究所となっている建物構内の、ある施設を見学させてもらった(許可が必要)。構内の一画に小さな新しい碑が建っており、正面に「静和」と書いてある。これだけではなんのことかわからないが、裏に回るとそのいきさつが書かれている。
工事現場からたくさんの人骨が発掘された。近くに陸軍軍医学校があったことなどからその関連の人骨とされている。頭蓋の一部を切り取られた人骨等もあり、人体実験のあとかなどと騒がれたが、現在はここに静かに葬られているという。